コンテンツとコンテクストについて私が感じたこと
メガネ男子萌え学会、非常に楽しませていただきました。今回の走り書きは、学会を受けてのこの発言について。
同人の話の流れでコンテクストっていう単語が出たのが非常に興味深い。我々が作成するのはあくまでコンテンツだが、買い手はコンテンツの中にあるコンテクストを消費しているのではないか
— うのはな透 (@unohanaT) 2014, 3月 8
これをなぜ「非常に興味深い」と感じたかというと、直近で以下の記事を見たためです。
上記事の「そうした人々を非難することはナンセンスであるように感じる」という一文に対して、それは違うだろう、と強く感じました。
クリエイターが作った“コンテンツ”を評価する際に、それが作成された“コンテクスト”は極力廃するべきだし、それがあるべき評価だ、と私は考えます。
そういう経緯で、「コンテンツとコンテクスト」という単語に少し過敏*1になっていたこともあったのでしょう。
だから「コンテンツの中にあるコンテクストを消費する」という意見を聞いた時に、どうしてそんなことになるんだろう。そうか、“コンテクスト”の意味が違うのか、という“コンテクストの再発見”に至ったと言いましょうか、そこに驚きを感じ「興味深い」と述べたわけです。
(特に二次創作)同人誌はコンテンツに違いないんですけれども、同人誌が伝えるのって多くは「シチュ萌え」です。それ自体がコンテクストとして記号化していると言ってもいい。買い手は同人誌を買って、(もちろん絵やストーリーを楽しむにしても)その背後には「シチュ萌え」などのコンテクストが潜んでいて、究極的にはそれを消費しているんじゃないか。
そういう考えに及んだことはかつてほぼなかったけれど、言われてみれば驚くほど合点がいく。そういう面白い知見に出会えました。メガネ男子萌え学会。すばらしい会だったと思います。
(で、可能なら上段で触れたコンテクストと、下段のコンテクストに何か関係があるか、ちょっと考えてみたいと思います)
*1:神谷眼鏡