せらぴんブログ

サークル「せらぴん」のうのはな透です。やっぱり眼鏡っ娘が好き!!

コンテンツとコンテクストについて私が感じたこと

メガネ男子萌え学会、非常に楽しませていただきました。今回の走り書きは、学会を受けてのこの発言について。

これをなぜ「非常に興味深い」と感じたかというと、直近で以下の記事を見たためです。

佐村河内氏(名義)の作品を酷評する人々の心理とは | 乙武洋匡

上記事の「そうした人々を非難することはナンセンスであるように感じる」という一文に対して、それは違うだろう、と強く感じました。
クリエイターが作った“コンテンツ”を評価する際に、それが作成された“コンテクスト”は極力廃するべきだし、それがあるべき評価だ、と私は考えます。

そういう経緯で、「コンテンツとコンテクスト」という単語に少し過敏*1になっていたこともあったのでしょう。


だから「コンテンツの中にあるコンテクストを消費する」という意見を聞いた時に、どうしてそんなことになるんだろう。そうか、“コンテクスト”の意味が違うのか、という“コンテクストの再発見”に至ったと言いましょうか、そこに驚きを感じ「興味深い」と述べたわけです。

(特に二次創作)同人誌はコンテンツに違いないんですけれども、同人誌が伝えるのって多くは「シチュ萌え」です。それ自体がコンテクストとして記号化していると言ってもいい。買い手は同人誌を買って、(もちろん絵やストーリーを楽しむにしても)その背後には「シチュ萌え」などのコンテクストが潜んでいて、究極的にはそれを消費しているんじゃないか。

そういう考えに及んだことはかつてほぼなかったけれど、言われてみれば驚くほど合点がいく。そういう面白い知見に出会えました。メガネ男子萌え学会。すばらしい会だったと思います。

(で、可能なら上段で触れたコンテクストと、下段のコンテクストに何か関係があるか、ちょっと考えてみたいと思います)

*1:神谷眼鏡